パネルディスカッション「レガシープランを考える」

 

今だからできる江戸の風流

「ないからほしい」から「良いものがほしい」の時代へ

場所を感じ、場所にあわせるプランニング

赤裸々にプロセスを見せることが市民を変える

レガシー議論が新しいライフスタイルを創る

 

 

百武ひろ子 先ほど進士先生がライフスタイル・ダイバーシティということをおっしゃいました。私は合意形成マネジメント協会の理事長をしておりまして、合意形成で一番重要なことは、多様な価値観を認め合うということだと思います。今日、出て来たキーワードをもとにディスカッションをして、会場の皆さんも含めた多様な価値観の中で触発しあいながら新しい視点を見つけていくことができればと考えております。

最初に春田さんから、先ほどの講演をお聞きになってどのようなことを感じられたか、パネルディスカッションで深めたいキーワードをあげて頂けますか?

春田浩司 お三方ともレガシー・プランに関するお話をされましたが、もう1つ、メイン施設の動静について、総じて、今のままでは……という雰囲気の話をされました。

進士先生は、東京を美しく創るということに絡めて、心と美しさの問題を言われました。東京の多様性をどのようにして築いていくか、ランドスケープ・ダイバーシティ、ライフスタイル・ダイバーシティという多様性についてお話がございました。その上で東京五輪をきっかけとして、それを全国の都市にも適用できる考え方にしていこうとする例も示されました。

芦原先生の場合は、デザインアドバイス機構を提案するという大命題がありました。建築界を代表していろんなことを提言するということで、今回のオリンピック施設整備を成功に導きこれを下敷きにして、日本版CABEを定着化していくというお話。それから、メイン施設だけではなくて、その他の施設全体について「新規に整備する」、「既存施設を改修して活用する」、「仮設で造る」等にも着目する必要がある。オリンピック・レガシーとしては、小川を復元する、みどりのネットワークを構築していく、福祉のまちづくりを、ということを言われました。

涌井先生には非常に幅広くおっしゃっていただきました。幻の東京オリンピックと1964年の東京オリンピック。それから落選した2016年のオリンピックと今回実現することとなった2020年のオリンピック。それぞれのレガシー・プランは施設の建設とオリンピック以降の跡利用に踏み込んだ内容が不十分であり、それをもっと前に進め意義のあるものとするには環境、生物多様性、日本沈没の危険性、コンパクト・シティ、環状6号線内、そういったところをキーワードに東京の都市としての魅力に満ちた特質を世界に発信していくべきではないかということであったかと思います。

百武 今いただいたようなキーワードをこれから掘り下げていきたいと思いますが、その前に、1964年の東京オリンピックがどういうレガシーを残したのかを考えたいと思います。レガシーというのは基本的にポジティブなものを指すようですが、今になってわかるネガティブな面もあると思います。ソフト、ハード、ポジティブ、ネガティブも含めて、1964年のオリンピックが何を残したのかということについて先に話をお聞きしたいと思います。

進士五十八 芦原先生のお父さんの話ですが、駒沢公園を本格的な運動公園に仕上げました。五重塔のような形でオリンピック記念塔を作り、その前は都電の敷石を斜め模様に敷き詰めて石の広場を作った。私は造園家ですから、もっと、みどりがなきゃいけないと思っていたのですが、外苑スタイルに近い象徴的空間を構成したといえる。記念公園は64年オリンピックレガシーの1つですね。

もちろん64年オリンピックは、日本橋の上の首都高のように負の遺産と言われているものもあります。ただ、どの時代にもそういうものはある。まちづくりというのはダイナミックに変化していくものなので過去のデザインを議論してもすあまり意味はない。それを反面教師にすればいいと思うんです。

駒沢オリンピック公園の造園では、造園界は日本の伝統技術を見せることにこだわったのです。例えば、京都の修学院離宮の大刈込のやり方を取り入れた。木をたくさん混植して全体を山形に刈り込あと、中を穴に抜く。他にもイヌマキの仕立樹形を列植してみせた。

日本が戦後復興を遂げ、新しい時代に飛び出すのだから、近代路線を全面的に見せようかということかと思うと、それとバランスを取るように、自然とかみどりなどその土地の風土性を意識的に強調したわけです。施設は近代的だけれども、五重塔のイメージを重ね記念塔や都電の敷石の斜が入っている。

64年東京オリンピックは近代化路線を突っ走ったかのように思われているけれども、和魂洋才というか、明治以降の文明受容のあり方に沿っていて、和の文化性が潜在していた。そういうふうに見れば2020年は、さらにステップアップし、堂々と「日本」を出すべきだと思う。美しい「スピリチュアル・ジャパン」の創出ですね。

芦原太郎 子どもの頃の私にとって1964年のオリンピックのポジティブなレガシーは、世界の中の日本を意識できたとでした。エチオピアのアべべや色々な国の選手たちの中で日本の選手の頑張っている姿は今でもはっきり覚えています。

じゃあ、2020年のオリンピックは、子どもたちにそして東京の街にどのようなレガシーを残せるのかは、社会も大きく変わっていますので、1964年の時と同じではないだろうとは思います。

1964年の時は、建築界で言うと父も頑張ったわけですが、代々木の国立屋内競技場を丹下健三先生が作った。建築のオリンピックで言えば、あれは金メダルみたいなものだったわけです。吊り構造を使ったダイナミックな形でも何か日本の良さを表現している。その後のケンゾウ・タンゲは中東に行って王様の宮殿を設計したり、都市を作り、世界的に活躍をした。1964年のオリンピックは、日本の建築家が世界に出る1つのステップにもなったということもあります。もちろん、東京のまちがいろんな意味で一気に近代都市化していったという意味で一大イベントだったというポジティブな面がある。

あえてネガティブな面と言えば、首都高速道路がどうして日本橋の上に走っているのかなと、今にして思う。それから玉川上水なり、うちのそばのどぶ川がみんな埋められて暗渠になっていったということも、当時は必要だったかもしれないけれども、今にして思えば「さてそれで良いのか?」と思います。逆にそういうものの存在は僕たちに対して「君たちどう思いますか。こういう状況で今後も行くんですか、それとも何かもうちょっと違った考え方で東京を再生していくんですか」という問い掛けをしてくださっているとも考えれば、それも負の遺産ではなく、1つのポジティブな経験ということかなと思います。

百武 今のお話の中で、子どもの視点が出てきました。オリンピックを2020年に体験する子どもたちに何を感じてもらいたいのかということ、そのために私たちが何を作っていくかという問題も考えていかなければならないと思います。

涌井史郎 戦後を乗り越えて、大手を振って世界に対して歩き始めたのが1964年だと思うんです。つまり、成長とか豊かさを追い求める構図が随所に出て来た。威勢がよかったという意味では非常に結構。ただし、まちから物売りの声が聞こえなくなったのがちょうど東京オリンピックのあたりです。それまでは、「たーけやー、さおだけー」とか、天秤棒で担いだ物売りも来ていたんです。だから私は、1964年というのは物理的にも文化的にも江戸と決別をした年だと思っているのです。

今あるものに満足しようという世界から、新しいところに行進曲で出かけて行こうという雰囲気が蔓延した。それが日本全国に伝染していって、どんな片田舎へ行っても「ナントカ銀座」という商店街ができているという状況になっていったというのが私の印象です。

だからダメだと言っているのではなくて、じゃあ、どうするのだ。これはぜひ芦原先生に考えていただきたいのは、デザインビルドの危険性というのがあるのです。首都高は、なぜ今のように大規模更新しなければいけないかというと、間に合わせるためにゼネコンに工事期間を決めて、それぞれの工法で作らせたんです。それが羽田の1号線です。そのために統一された管理ができない。時間との戦いが結果としてそういうものを生んでしまったというところは反省事項だという気がします。

百武 時間との戦いというのは、今回のことでも重要なテーマになっています。

涌井 おっしゃるとおりです。時間があるように見えるのですが、都市計画だとか手続きを入れると、これから残された時間の中で2年間は手続にかかるでしょう。施工の時間が少ないということをじっくり読まないと、本当にそれだけの品質のものができるかどうか、よっぽど考えなきゃいけないと思います。

百武 レガシー・プランの内容もそうですが、どういうふうに作っていくのかという方法論に問題があったり不備があったりする、もっとその部分でもっと工夫ができるのではというご提案だったかと思います。これについては、後ほど掘り下げていきたいと思います。

今日は会場に、土木学会の元会長でシビルNPO連携プラットホーム理事長の山本卓朗さんに来ていただいています。1964年当時、国づくり、まちづくりに関わられたと伺っていますが、そのときどのようなことを考えながら計画づくりに携わっていらっしゃったのかお話を伺いたいのですが。

山本卓郎氏(シビルNPO連携プラットホーム会長)私は、昭和39年に大学を出て国鉄に入った人間ですが、当時何を考えていたかと言われると大変困るんです。学校を出たばかりでしたので。

新幹線は5年間で作っているんですが、新幹線の計画そのものはオリンピックの前からあったわけですから、オリンピックにたまたま間に合わせたということですし、高速道路も計画はあったけれども、その一部はオリンピックに間に合わせて作ったということです。ただ、オリンピックの時代は日本が高度成長に入ったときで、オリンピックはそれに輪をかけたとは言えますが、インフラ的に言えば、オリンピックの負の遺産というよりも高度成長の負の遺産がいっぱいある。

5年間で作ったといいますけれども、発注が間に合わないんです。設計が間に合わない。したがって、地図の上に赤線を1本ボーンと引っ張って、それで発注するんです。なぜそんなことができたかというと、標準設計というのがありまして、「標準化」という言葉が当時、おそらく各界で流行っていたと思います。国鉄でも標準化委員会というものがあったくらいで、物みなすべて標準化するのです。そのことが効率化につながるのですが、例えば建築も標準化してしまうので、日本全国、同じような駅舎ができてしまう。新幹線も東京から大阪まで各駅同じような形で作っていきます。開業したときに、ホームに「何々駅」という表示が少なかったものですから、途中でパッと目が覚めると、どこの駅か分からないということが本当にありました。それぐらい、当時は効率化を追いかけたということだと思います。

日本橋の上に高速道路を作ったのも、とにかく用地買収なんかやっていられないから、水辺を全部使ったのです。ですから東京の河川の上に高速道路が乗っているということで、す。

次のオリンピックは、過去のオリンピックの負の遺産を修復してプラスにしていく。このチャンスにさらに20年先、30年先を考えて、日本の景観を本当の意味での素晴らしい景観に戻して行くきっかけにしてほしいと思います。

百武 前回のオリンピックが残した遺産を私たちはどういうふうに学んで次に活かすかということが問われているのですが、オリンピックまでという短い時間の中で消化するのではなく、オリンピック後のまちづくりのあり方も視野にいれた長いスパンで考えたらいいのではないかというご提案だと受け止めました。

次に、この1964年のオリンピックのレガシィを踏まえて、2020年はどうしていったらいいのかということを考えていきたいと思います。1964年の高度成長期と、2020年を取り巻く環境は非常に激変しています。地球規模での環境問題、少子高齢化の問題、日本では東北大震災があったり、そういう経験をどのように活かしていくのか、私たちは何をレガシーとして考えていけばよいのでしょうか。

進士 64年と今は全然違う。下水道が完備してないのに郊外にどんどん住宅が建ち、川が汚れ悪臭を出した。だから埋めてしまおうという話になったり。逆に、東京の顔の隅田川は64年オリンピックまでに何とか臭いを消そうと河川の浄化事業を必死でやって成功させたり、それぞれ、ものすごく頑張った。政治家も役人も、技術屋も。オリンピックのポスター、亀倉雄策などあのころのグラフィックデザイナーもすごかった。みんな世界の一流を目指して必死だった。日本人は決して劣ってないというのを証明しようと、官も民も、デザイナーもアーキテクトも、みんなが頑張ったと思います。

今の東京は、ハード面や環境面では当時と大きく違って十分成熟している。ただ、自信喪失・目標喪失といった心配がある。これからは、またスピリチュアル、メンタルな部分、それからソーシャル、社会的合意形成や、市民参画の在り方などが議論されるべきです。       64年頃は、量の供給だった。だから、どこもかしこも、効率第一で全部標準設計でした。でも今のアーキテクトは、それ卒業しています。学校建築でさえずいぶん工夫して、母校と言えるような学校ができている。外環なども合意形成に時間を掛けて地下化など、技術的水準も大幅に向上している。

既にいまは、「量より質」「建設より生かし方、くらし方」「目立たせるより調和する」ことが追求される時代に入っているのです。そのことへの認識が全く欠けているのが、新国立競技場のコンペプロセスです。造園家からみると、スポーツセンターの要綱は酷すぎる。日本初の風致地区、神宮外苑という場所性について何一つ触れていない。風致地区も無視。あんなコンペの要綱があるのかと思いました。環境や景観文化へ時代が何を求めているか、どう考えなければいけないか、全くわかってない。単なる施設の建替えだと思っている。  

日本には立派なアーキテクトが五万といるのに、何をしているのか。甚だ不満です。審査員は、内藤廣氏のように責任を持って発言すべきです。ひよっとしたら、オリンピックは来ないかもしれないし、予算も付かず、やらないだろうと思っていたかもしれませんね。

芦原 確かに1964年のときは新幹線がほしいとか高速道路がほしい、下水道もほしいという時代だったけれども、今は東京には何でもあるんです。ないものがほしいのではなくて、良いものにしたいというクオリティを問わなきゃいけない。だから立派な競技場が欲しいと言うけど、東京のまちや東京の人々の生活にとって本当にそれが良いものなのかどうなのかということを問わなきゃいけないということなのかなと思います。

これからの僕たちの東京の生活あるいは江戸につながる文化、歴史にとっていいのかどうかの質、クオリティが問われています。そして同時に、質とかクオリティを判断するのは、だれなのかというところが一番大事です。私たち建築家も、クオリティ、質に関しては声を上げたいし、知恵を出したいと思っているわけですが、なかなかウデを示す場がない。

1964年の時は、建築家の大先生が活躍しましたが、2020年はちょっと違うと思います。日本にも有能な建築家がいっぱいいるんですが、そうした専門家が地域の人々や市民と対話をして、意見をまとめる機会とかプロセスを経ることがとても大事です。建築家協会としては、市民に分かり易く情報公開し、市民参加で良い建築やまちづくりを行っていくことを考えています。

涌井 この間エクルト・ハーンというドイツの生態建築学者が来日したときに対談したら、今、ベルリンの都市改造をやっているときに何が一番重要かというと、明示性のある都市の象徴を作るよりは、どうやって近隣が持続的に維持できる都市を作るのかが命題なんだという話をしていました。

まさにそれが今の世界の方向で、あのコンペの結果には誤った時代認識が収斂しているのではないかと思う。建築家は作品がスターであって、それが時代の象徴だという時代から、実はそうではなくて、本当に建築家が縁の下の力持ちになって地道に社会資本を作りながら、より良いものを作っていくことが大事だと思う。

残念なのは、ようやく日本が眺望景観を主役の座に据えて、例えば六義園の裏側とか、新宿御苑の裏側とか、国会議事堂の裏側とか、神宮外苑の裏側には高い建物を建てさせないでビューをきちっと確保するという条例まで作っておいて、そういう意思決定をしておいて、コンペの中には一切そういうものが入って来ない。これはおかしい。日本が景観規制を条例としてやったことに対して一切触れてないということ自身、そこに何か勘違いがあるのではないか。勘違いがあるような都市の作り方はこれからしてはいけないというのが非常に大きなポイントだと思います。

百武 場所性を知って、生かすということが大変重要な要素であるということですね。それと何を良いものとするか、また誰がどのように評価するのかという点が1964年当時とは大きく違ってきているというご指摘だったかと思います。

それでは、せっかくたくさんの方がいらっしゃっておりますので、会場からもご意見伺いたいと思います。感想でもご質問でも結構ですのでご自由にご発言ください。

○○○○氏(会場からの発言) 先ほど、進士先生は、海の森に新国立競技場を作らせればいいじゃないかと言われたのですが、本当に海の森に持って行ける可能性はあるんでしょうか。

芦原 外苑にああいうものを作るということを政府が決定し、デザインコンペがなされ、ザハ案ができ、IOCにもプレゼンテーションしているので、制度上はそう簡単に変更できない状況です。ただ、私どもは国が条件をきちっと再検討して、IOCにも見直しの了解を得て、新しい計画案を作ることはできるんじゃないかと思います。

それともうひとつ。現在の計画案には景観だけではなく、全天候型の屋根があることで1700億円も予算がかかって、年間維持費が46億円かかるという問題がある。いまの計画案をお台場に持って行くということは、その問題もそのままお台場へ移動するんです。屋根がなければもっと安価になるのに、果たして日本の国民なり都民として1700億円の費用をかけるべきものなのかどうかの議論です。

外苑にそういう大きなものが建つ必要があるのかどうかは、槇先生や日本スポーツ振興センターが、具体的にあそこに建つと並木のところへどういうふうに出て来るのか、あるいは外苑東通り側から見るとどうなるのかというシミュレーションの絵がいろいろ出て来たので、専門家として市民の方と一緒によく検証していこうと思っているところです。

簡単に言うと、外苑のイチョウ並木のところに絵画館があって、そこにワーッとすごいものが建ってしまうように思っていたのですが、少なくともあの視線からは木に隠れてそんなに見えないんです。ただ、競技場の近辺に行けばすごいものがワッとそびえ立っているということは事実ということになっています。

百武 もうすでにお話も出ていますがここからは、どんなものをつくるかということから、どのようにつくっていくのかそのつくり方を考えるというに話を進めていきたいと思います。つくり方ということを考えた場合、レガシー・プランの事前評価および事後評価が非常に重要になってきます。会場に、ビューローベリタスジャパンの佐々木社長がお見えになっております。さまざまな視点で第三者的な評価を企業活動としてされておられるので、評価ということでご意見をいただければと思います。

佐々木泰介氏(ビューローベリタスジャパン社長) 評価とか検査というのは、基本的に基準があるのですが、レガシーのように基準がないものを評価するとなると、かなり我々の域を越えているというのが最初のお答えです。

建設業はエネルギーのライフスパンで考えた場合、作るときと壊すときの費用と維持する費用は、たぶん150ぐらいです。ですから基本的には壊さない方が世の中にはやさしいというのがベースでございますので、もし新しく作るのであれば、基本的にライフサイクル・アセスメントぐらいはやられてはいかがかなと。AとBのプランでどっちがやさしいのというぐらいはやってもいいのではないか。

50年前の環境の話は、公害だとか水銀だとかいう話でしたが、今、環境といいますと、地球温暖化を中心にしたサステナビリティということになっています。50年後にいわゆるレガシー的に言うとどうなっているかというところはわかりませんが、現状ではとても必要なことかなと思います。またそうしないと世界的にはなかなか同意を得られません。

もう1つ、車にはリサイクル率というのが出ていますが、何を作って、どういうふうに作られているかというものは建築分野でも本質的には要求されていった方がいいのかなと思います。そうすることで建造物としての良し悪しをもっと評価できると思います。

百武 国際的に評価を得られるものとは何かという視点は、これからのレガシー・プランを考えるうえで不可欠な視点だと思います。今後、レガシー・プランはこういうように作っていったらいいのではないかというご意見のある方はいらっしゃいませんか。

三瓶徳孝氏(東急不動産次世代技術センター上席研究員) 公共建築物の評価は日本でどういうふうに行われてきたか、よくわからないですね。例えば景観に関する考え方は今とずいぶん違っていたとは思いますが、古くは京都タワー、最近では東京都庁舎がコンペで決まった当時は、そんな高層建築物が要るのかとか、議論がありました。

今、あの建物をどういうふうに評価するのか。維持費だとかメンテナンスだとか含めて、想定通りできているのかという評価が行われるような土壌というか雰囲気がもともと日本にあるのかどうか。問題になったときはワーッと盛り上がるけれども、建てたら静かになってそのままになってしまうような気がしないでもないので、そのへんのお考えをお聞きしたいと思います。

春田 建物が完成し活用されはじめて以降に行われる評価の前段階では、設計者を選ぶ例えばプロポーザル評価、さらにその前段階として予算化するというステップがあるわけです。予算を確保するための環境条件を整えたうえで、それなりの必要性を説明していく。その中に評価ということが入っているわけですけれども、何となく全体の中に含まれていて、クローズアップされるような感じではなかった。

ただ、コンプライアンスという言葉が動き出した時代、15年から20年ぐらい前ですが、多少抽象的ではあるものの「見える化」した評価をして、その点数によって予算化していくときの重み付けをするといったことがありました。今は国の建物ではそのような事前の段階で評価をするということで動いていると思います。そのための組織もできております。そういう時代になってきたなあと思います。

芦原 評価というのは、だれが評価するのか、どういう観点から評価するのかによってえらく変わるわけです。今おっしゃっているのは、発注者である行政側として、公共建築に対する評価をしているということと思います。でも、例えば東京都庁舎があれでいいのかとか、公共建築に限らず京都タワーはどうなんだろうかという議論には、どちらかというと、社会とか市民の側の評価も重要ではないかと思うんです。

残念ながら、今まで日本における具体的な建築に対して市民が、近所に建つから反対とか、日影がどうのという意味での評価ではなくて、日本の国家的なプロジェクトの建築なり、大切な地域の建築に対して、市民がきちっとした評価をするということはあまりありませんでした。

そして今回、槇先生はじめ私どもが一生懸命声を荒らげて言っているのは、ほぼ初めてに近いようなことで、オリンピックという一般の社会の人たちが注目する中で、新国立競技場の建築というものが浮かび上がって来て、果たしてそれをどう解釈したらいいのだろうか、景観上どうなのだろうか、それだけの費用に値するものなのだろうか点です。

私どもとしてはオリンピックの競技場だけの問題ではなくて、自分たちにとって大事な11つの建築を地域の人なり自分たちが考えていくきっかけにしたいというのが一番強い思いでございます。

そういう中で、建築家の評価とか行政の管理上の評価とかあるときに、市民の側として、自分たちのまち・地域にとってそれはどうなのか、あるいは自分たちの生活にとってそれはどうなのかという意味での評価を総合的にしていくようにしたいという思いがございます。

日本の場合は、確認申請を出して、法律のルール上正しければその建物は建てられる。ところがイギリスの場合は地域の許可制になっていますから、法的なチェックをした上、自分たちのまちにこういうものが建っていいかどうかは地域が許可をするという考え方なんです。隣のまちはいいかもしれないけれども、うちのまちは嫌だねということになれば許可しないということもあり得る。そういう意味では、市民を巻き込んだ建築に対する評価を既に日常的にやっているんです。そういう文化を持っている国もありますから、ぜひ日本もそういう方向に持って行けないものかな、と思っています。

最後に一言。出来上がった建物に対して、あれは酷いとか、これは何なんだと言うのはあまり実りがない。作ろうとしている段階でとことん議論をすることが大事ではないかと思っています。

涌井 芦原先生が言われたことはすごく大事だと思います。

私が首都高の委員長を引き受けるときに条件を付けました。それは何かというと、市民化することが非常に重要だ、したがって首都高が抱えている問題をビジュアルに、赤裸々に市民の前に映像で示せというのが条件でした。実は、これはものすごい抵抗があった。結果としてはそれを首都高が飲んでくれた。これは大変な首都高の決断です。

テレビで映像がどんどん出るにつれて、それまで批判があった、料金値上げをしたいからこういう名目をつけているんだろうというのが急速に後退したんです。結果としては、とにかく早く直せ、早くやれ、中には受益者負担でも構わないという議論になっていって、お陰さまで、15年償還期間延長ということで財源が確保されたわけです。

テクノクラシーとデモクラシーの非常に微妙な関係をどう作り出すのか、その中で市民がどう評価がしていくのかというところに皆さん興味を持っています。特に税金という形で分たちが払っているという納税意識が強くなっていますから、そういうことを考えていくことが大事だということを一言申し上げておきたいと思います。

進士 槇先生の見直しで半額が示されました。それでも緑地の中では、すごいボリュームす。景観はビジュアルに目で見えるものと、体全身で感じるインビジュアルもあるんです。だから、並木道の真正面の絵画館横に巨大施設があるのは、いくら緑化しても見えますし、同時に感じる。場所性を第一に考えようという感性があれば、あそこでの再建計画は出ないはずです。

プランニングの話とデザインの話が混ざって議論されている。隅田公園というリバーサイドパークは震災復興事業からレガシー。そこへ64年高速道路を乗せた。高速道路のデザインが悪いわけじゃない。丸い柱にしたり、いろいろ工夫し、スマートにしてきた。デザインの問題ではなく、あの場所に通すという計画が問題だったんです。

ところで、ハディドのデザインそのものは認めていいと思っていましたが、見直し基本計画案はつまらなくなってしまった。大事なところを抜いた、ワサビの効いてない寿司という感じ。ああいう中途半端な見直しはいただけませんね。

64年時とは違い、世界一、デカければいいという時代ではないのに、まだ高度成長の価値観のままですね。縦割りでスポーツ施設だから、縦割りで文部省でやる。営繕とプランニングは違うでしょう。

私は新宿区景観審議会の会長ですが、競技場周辺地区計画が議題に出たのです。この地区計画はほとんどボリュームアップのエクスキューズ。

本当は、日本の顔東京の百年の計を見直す見識で、政治家がちゃんと判断すべきですよ。こり場所ならセンターの既得権の範囲だから、ここでやるのが無難です。そういわれたら、そのシナリオで発言する。それでは、総理大臣も、文部大臣も、都知事も、選挙で選ぶ必要がない。

私としては、どなたでもいい、大決断をしてほしい。「外苑の競技場は64年レガシーとして保存し活用する。東京湾にハディドらしい作品を新たに造り、2020年レガシーとする。」

石井弓夫氏(建設技術研究所相談役)土木屋として発言させていただきたいと思います。

64年のオリンピックのときに我々は何を考えたか。日本国民のレベルだったと私は思っています。それは何かというと、高度成長、生活をもっとよくしたいということと、もう1つは国威発揚です。戦争に負けたというのを何とか回復したいという気持ちでした。ですからその中では、何でも作って世界に示す、世界のレベルに追い着くのだ、俺たちは負けてないぞ、というのが国民の意識だったんです。政治家はどうだったのかわかりませんが、やっぱり国民の意識を表わしていたのだと思います。

本当は、土木はそういう熱に浮かされる商売ではないのです。「百年の大計」といつも言うのですが、それでも日本橋の上に橋を架けましたし、隅田堤のところもああいうことをしたんです。もちろん、これはまずいなというのはその時もよくわかっていましたけれども、もう、あと何年後じゃないか、何とかやろうということで、国民的な価値観を優先させたということで、それはそれなりに大きな成果を上げて我々はここに来ている。

では、次の国民的な合意というか概念は何か。今日のお話を聞いて、これはいいと思いましたのは、レガシー、遺産ということを言われると非常によくわかるのです。おそらくこれが国民的な合意に短期的に収束していくのではないでしょうか。そうすると、その結果として、神宮のところのレガシーをどう守るかというようなお話になっていくのではないかと思います。そんな点で、レガシーという概念を国民的合意まで高めていただきたいと思います。

室橋正太郎氏(元建設相(現国土交通省)営繕参事官)代々木屋内競技場の話は出ませんでしたが、水連の規約が変わりまして、コース幅がほんのちょっと広くなったんです。このため、現施設は公式な水泳協議では使われなくなりました。構造計算をやった先生が、拡げることは難しくないと言っているのですが、競技場の方は、水泳プールをやめて床を張れば借り手も多くなって実入り良くなると言う。代々木は丹下先生の最高傑作ではないかと思っております。そろそろ重要文化財になってもいいのではないかと思っております。皆様方にも、何かの機会にそのような話をしていただければ、少しは文科省に考えていただけるのではないかと思います。

百武 それでは春田さんから一言ご感想をお願いします。

春田 レガシーということで考えますと、形のあるものはもちろん形として残っていくということで、それを永く有効に活用していくことが重要だと思います。

しかしもう少し視点を変えて言うとすれば、オリンピックですから海外からたくさんの人々が来られるわけですので、誘致のときの説明でも「おもてなし」という言葉が言われたように、日本が持っている文化を海外から来ていただいた人々により強く感じていただくことが重要ではないか。そのためにはいろんな仕掛けも当然必要だとは思います。けれどもここで考えてみたいことは、「おもてなし」というのは字面でみると「表がない」という言葉にも聞こえるわけですが、だからと言って「表がないなら裏ばっかりか」というと、そういう意味ではなくて、表面(おもてづら)を取り繕うという意味の「表」という言葉もありますので、そういう意味の「表」はないよ、と言いたい。つまり表も裏もない全部素っ裸の日本の文化をしっかりと観ていただいて、それに魅力を感じていただく。それがむしろ本当の「おもてなし」の意味にも通じるのではないかという気がしております。そういった形のないものの中にも日本を感じていただくレガシーがあってよいのではないでしょうか。

江戸の話もありましたし、関西風に「江戸はえーど」と言いたいということもあり、そういうところも含めたレガシー・プラン構築であってほしいと思います

百武 今日の先生方のお話を伺って、五輪とかけて5つの重要な要素を考えてみました。

@今だからできる江戸の風流

A「ないからほしい」から「良いものがほしい」の時代へ

B場所を感じ、場所にあわせるプランニング

C赤裸々にプロセスを見せることが市民を変える

Dレガシー議論が新しいライフスタイルを創る

レガシー・プランは誰かがつくってくれるものではなく、多様な人たちが知恵と力を出しあってつくりあげていくべきものだと今日のディスカッションを伺って再認識しました。皆さんで力を合わせ、子どもたちに誇れるレガシーをつくっていきましょう。

サソ