【慶應義塾大学特任教授 伊藤滋氏/木という存在はものすごく大事】

 小泉総理がメールマガジンを出した時、コラムを書く仕事があり、主婦の立場で街を考えたら何が一番問題かと考え、それを書いた。

 1回目は、電線を無くせないかということ。狭い道の上に張り巡らされ、看板も見えない。特に地方都市の商店街には多い。駅を降りたところだけでも無くせば、どれだけすっきりするかと。2回目は街路樹。経費節減と手入れに手間がかからないよう、強剪定といって丸太ん棒のようにする。街路樹は美しいことのほかに、木陰ができて涼しいこと。役所は、街路樹がどれだけ街の中で機能するかということは考えない、これをどう思うかと書いた。

 すると、メールマガジン最大のヒットになった。かなり本質的なことを突いたのかなと思った。

 結論は、電線地中化は国交省がこれまでの5年間より3割増やすことになった。3割増やして駅前の商店街の電線がどれだけ無くなったか、あまり聞いていないが、それなりに認めてくれた。街路樹は、地方の市町村が国道の緑化について整備局に要請すれば、整備局が対応することになった。これは相当画期的だ。ところが、玉名市の国道は外側を走っており、駅前は市道、県道だ。国道は良くなったけど市町村道の木は相変わらず切られている。

 これは、しつこくやらなければならない。国道をやったから県道も市道もやるべきじゃないかということはしつこく、声高に。「美し国づくり」の前に2年間美しい景観を考えた。早稲田大学の学生を集めて、「夏休みに故郷で醜い景色の写真を撮って来い」と。一番醜い景観は駅前商店街の街路樹だった。それを公表した。要するに、役人との付き合いはしつこくやらなければならない。これはわたしの歳を取った知恵です。「ああ、そうですか」と引き下がらない。「ほかのところでこういうことをしているのに、こんなことをしてないのはどうしてか」ということも言う。

 もう一つ、色にはひどいのがある。銀座のマツモトキヨシの建物だ。それも写真に撮って醜い景観として発表した。それは新聞が取り上げてくれた。そうすると、気がついたらいつの間にか銀座のマツモトキヨシの極彩色がなくなった。役人に頼むだけじゃなくて、「これはおかしい」と思ったら何回も何回も役人と話をする。これが大事だということを申し上げたい。

 3番目はブロック塀。あれは醜いだけでなく、地震のときに危ないから生垣にしてほしいと。 そしたらヒット数がガクンと落ちた。思い当たったのは、 皆様方がいいかげんだということ。電線地中化も街路樹も、 みんな公がやっている仕事だ。 ところが、ブロック塀を生け垣にするというのはそれぞれのお家で金を出さないとできない。 自分のポケットにかかわることになると、 日本人はみんな黙ってしまう。これは真理だ。

 そこを、「そうじゃないんだ」と言っているのが都市計画家。「それぞれが痛みを伴いながらお金を出して、みんなで街を良くするということをやってください」と。

 だが、いまの流れでいくと公共事業費は全然出ない。出ても補修でほとんどなくなり、新しいことはできない。結局、新しいことをやらずに街を良くしていかなければならない。そのためには、皆さんにお金をほどほど出していただき、皆さんの頭を一生懸命使って、やり繰りしながら、20年、30年かけて少しずつ良くしていく。この苦労の連続を、市役所もわたしたちもやらなければならない。

 最後に、木のことに関心を持っている。田んぼを造成して新しく建て売り住宅を造るときは、3尺でもいいから、そこに木を植えてほしい。木を植えるだけで、醜いものがほどほどに美しくなる。そういう感覚を都市計画屋も造園屋も建築屋も、一言も言ったことがない。とにかく、そのことだけ頭の中に入れといてほしい。玉名の街でも気をつけていただきたい。木という存在はものすごく大事だ。