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私の景観論

 長野県小布施町は、建築家の宮本忠長氏を中心に「修景」という手法で、歴史的建造物を保存・再生させ、江戸時代の文化の香りを甦らせた。同時にヒューマンスケールの都市空間もつくり上げ、観光客を呼び込んだ。首長のリーダーシップと町民のまちづくりへの熱意が加わり、三位一体の取り組みが実を結んだといえる。その先進的なまちづくりをさらに深化させようと、東京理科大学との協働(コラボレーション)による研究活動も始まった。「次世代を担う子どもたちが原風景を持つことはとても重要なことだ。その原風景を維持する責任を強く感じている」と話す市村良三町長に景観の考えを聞いた。

◇     ◇

 「住んでいる町であっても、隅々まで知るのはなかなか難しい。私自身、ことし町長に就任して、町中を歩かせていただいた。2000軒くらい回り、写真を撮り、町の魅力を新たに発見して、多くの町民のみなさんに紹介しました。ヨーロッパのように、生活を営みながら歴史的建造物を維持するのは日本では困難な面もある。だからといって壊してしまうのはいかがなものか。内にいると良さ、大切さに気づかない」

 新たな発見の中には、失ってしまった大切な風景もあった。それは、市村町長自身の原風景であり、心のよりどころともいえるものだ。

■「修景」手法で江戸文化を再現
 「私が中学、高校生のころ、町は一番美しかったのではないかと思う。町の中心に雑木林があり、千曲川がきれいに見渡せる所など大好きな場所が5、6カ所あった。それが今は失われてしまった。学校に通う時は、家の間などいろいろな所を抜けながら歩いた」

 効率・便利の陰で失ったものも多いことを改めて考える。よくなった部分、失った部分を一度総括することも大事だと言う。

 「次世代を担っていく子ども達にとって、心の中に原風景を持つことは非常に大切だと思う。この町に育ってよかったと誇りに思えるような、そんな原風景を残す責任を強く感じている」

 小布施町は江戸時代後期、千曲川の舟運が盛んになると同時に、街道筋の物産交易で北信濃地域の経済の中心として栄えた。この経済活動で生まれた豪農、豪商たちが葛飾北斎や小林一茶など多数の文人を招き、文化の中心地にもなった。

 これを修景の手法で保存・再生したのが町の中心部の「北斎館」を始めとする建物群や広場、小道などの街並みだ。広場や小道が適度なヒューマンスケールで配置されたのは、地権者の公共意識の高さによるところが大きい。曳家や移築、セットバックによる広場の整備などである。

 「宮本氏が言われた『内は自分たちのもの、外はみんなのもの』というのは、実は外も自分たちのものと解釈できる。だから自分たちが歩いても気持ちのいいものにする。それが小布施の中に共通する意識として生まれた。建築家には、建物単体ではなく周辺を含めた景観を施主に説明する責任があると思う」

■もてなし、ふるまい、しつらえを
 新たな発見はもう一つ、町の中心部だけでなく、全体を見回した時に「土地のポテンシャル、風土のディテールが歴然と残っているのが分かった」ということ。とくに農村部の景観が今後重要性を増すと述べる。

 「もともと小布施はいろいろな人が来られて、交流したところ。『もてなし』『ふるまい』『しつらえ』と言う伝統がある。そういう小布施らしいやり方も考えていく」。そして、建築家が批判的なプレハブ住宅についても「木造がいいかもしれないが、経済性や生活様式を考えるとプレハブ住宅指向もある。小布施とは言わないが、北信濃の風土に合った外観を備えたモデル住宅を開発してもらいたい。多品種少量生産の時代なので、可能だと思うのですが」

 古いものを残すには、維持する装置が必要だとも話す。「建物や街並みを守るには、何らかの経済的な装置が必要だ。小布施も北斎館を起点に各種の修景事業を官民一体となって進めてきた結果、多くの観光客を招き入れることができた。そのこともしっかり考えなければならない」

2005年11月21日付『建設通信新聞』より

次世代担う子どもの心に
原風景を残す
小布施町長 市村良三
歩いても気持ちのいい町・小布施。北斎館周辺は休日ともなると大勢の観光客でにぎわう
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