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私の景観論

 摩天楼がそびえ、まちの喧騒が響く副都心としてイメージされることの多い東京都新宿区。だが、区内には新宿御苑や北部の落合地域に広がるおとめ山公園、歴史の重みを受け継いできた神楽坂などさまざまな顔も併せ持つ。中山弘子新宿区長は「都市としての機能をバランス良く持っている懐の深い魅力的な都市だ」と新宿を表現し、「それぞれの地域が歩んできたまちの記憶と起伏に富んだ地形を生かした景観づくりを進めていきたい」と語り、明快なビジョンを示す。

◇     ◇

 新宿区は、1992年4月1日から東京都23区に先駆けて景観まちづくり条例を施行し、景観に配慮するまちづくりに努めてきた。景観法に基づく景観行政団体についても、中山区長は「近く都から了承がもらえると思っている」。了承が得られれば、07年度中にも景観計画を策定する予定だ。

 新宿区は、超高層が林立する西新宿や歌舞伎町のほか、落合、神楽坂、四谷など「変化に富んだ個性あるまち」といわれる。さらに、武蔵野台地の端に位置し、台地と下町、川や外堀の水辺、斜面緑地や御苑の緑が点在している。

■歴史の記憶を共有できる資源大切に
 中山区長は、個性溢れる地域を生かし、「常に時代の先端を走ってきたという歴史の記憶を共有できる資源を大切にしたい」とし、起伏に富んだ地形を生かして「既成市街地の道路に整備した緑と緑地をつなぐことで、『緑の骨格』持つべきだ」とまちの在り方を示す。

 こうしたビジョンの実現は、「現場に近いところが決めるべきだ」と区民との協働を積極的に進める。区の基本構想や基本計画、都市マスタープランに反映させる内容を、区民会議や地区協議会を設置して「みんなでまちを担ってもらう」考えだ。日本有数の繁華街・歌舞伎町でも、「歌舞伎町ルネッサンス」と題して地権者によるまちづくり活動を進めている。07年度からは、地権者が主体となってTMO(タウン・マネジメント機関)を設立して、再開発計画などを推進する予定だ。かつて江戸、明治と首都の飲料水・灌漑用水・水車の動力として大きな役割を果たしてきた玉川上水でも、3月からは水辺の歴史を活かしたまちづくりに向けて区民によるワークショップを開催する。「単一の網はかけない。それぞれの地域住民が自分のまちの歴史を抱えている。その記憶をある程度の責任を持って、まちづくりに生かしてほしい。だから、まちの育ち方は多様であっていい」という。この多様性という強みを生かした景観計画を策定する。

 区の役割は「最低限守るべきことを全体の制度としてつくることだ」と言う。3月末からは建物の高さを一定以下に制限する「絶対高さ制限を定めるための高度地区」の変更を告示・施行する。建築基準法の改正で導入された天空率の容積緩和で「住宅のすぐそばに思いもよらない高層建築が建つようになり、地域の『記憶』が失われかねない」ため導入するのだが、全体としての制度であって「地域でもっと規制すべきだと合意すれば、それぞれで地区計画をかけていけばいい」という姿勢だ。

■無理のない制度で経済と折り合いを
 地域の声による絶対高さ制限といった制度は、ともすれば過剰な規制となる可能性もあった。だが、中山区長は「まちは経済活動があってこそ活発に動いていく。まちのDNAをみんなで共有するとともに、経済活動とも折り合いをつけなければならない」という考え方を基に、「無理のないみんなが合意できる制度にできた」と胸を張る。これも、日本有数の大都市街区とともに数多くの緑地や住宅地を抱える「新宿区」の多様性が織り成した結論だ。

 中山区長は記憶を共有するまちとして、新宿という地名の起こりとなった内藤清成の屋敷があった新宿御苑、料亭文化とも言われまちの風格を漂わす神楽坂、江戸時代に将軍家の狩猟地で武蔵野の現風景を今も留めるおとめ山公園の3地区を挙げる。記憶と地形をキーワードに地域住民による「歩きたくなる都市、新宿」の形成をめざす。

2006年2月27日付『建設通信新聞』より

地域、住民が抱える
多様性の強み生かす
新宿区長 中山弘子
武蔵野の面影を残す樹林地「おとめ山公園」は、地域の記憶を今も留める
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