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私の景観論

 松山市が展開している『坂の上の雲のまちづくり』は、地域再生策の目玉として創設された「まちづくり交付金」の第1号に指定されている。「小説を使ったまちづくりが面白いと小泉前首相から評価された」と言う中村時広市長に「坂の上の雲」への想いと、目指す都市づくりについて聞いた。

◇     ◇

 司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』は、「丸の内ビジネスマンの必読書であった。松山出身の正岡子規、秋山好古・真之兄弟という主な登場人物が、新たな国づくりという目標を共有できる明治期の日本人に共鳴し、今日でも指標となる内容だったからだと思う」と、自らのビジネスマン生活に照らして読み解く。

■小説の登場人物が今日の指標になる
 だから、丸の内から故郷・松山の市長就任に当たって「東京とはマーケットが違う。地方を魅力あるものにするには、その地域の文化、歴史という資源をまちづくりに生かすこと」「恵まれていたのは、ふるさとの先人を主人公とした『坂の上の雲』という物語があったこと。これを地域文化、まちづくりの象徴的テーマに据えたいと考えた」が、そこには関門があった。『坂の上の雲』の名称使用そのものである。司馬氏は、数多くの作品を送り出したが、『坂の上の雲』だけは、テレビドラマ化も映画化もしない」と言い残して亡くなったからだ。

 現に、『坂の上の雲』は、1968年から1972年にかけて産経新聞に連載されたもので、NHKは連載終了後から映像化を働きかけてきたが、30年余を経て、ようやく了解が得られ、2008年放映を目指してスペシャル大河の制作準備に入ったばかりなのである。

■構想は単なる入口市民の想いが大切
 松山市がまちづくりに『坂の上の雲』の冠名称を使用する協定はNHKに先立って結ばれている。この間の折衝について、中村市長は「東大阪市の司馬遼太郎記念館を訪ね、関係者と話し合い、理解していただいた」と、さらりと語るが、市長の「想いの重さ」が実を結んだことは容易に想像できる。なお、現在建設中の「坂の上の雲ミュージアム」の設計は、「司馬遼太郎記念館とのブリッジを考え、同館を設計した安藤忠雄氏にお願いした」とのことだ。

 関門が開けられ、21世紀のまちづくりの構想が描かれた。市内各地域に点在している小説ゆかりの関連史跡や、地域固有の貴重な資源を発掘・再評価し、松山全域を屋根のない一つの博物館と捉え、回遊性の高い物語のあるまちにする『坂の上の雲フィールドミュージアム』である。

 「構想やミュージアムなどは、単なる入口に過ぎません。まちづくりのガイド、支援機能です。市民の想いがないと本当にいいものにはなりません」

■エリア限定で創造仕掛けにも工夫
 だからこそ、「空襲を受けた都市の大半は、同じような街になっています。松山も同じです。戦後の復興を考えれば、止むを得ないことです。エリアを限定して創造していきます」と現実的である。と同時に、仕掛けには工夫を重ねている。

 子規没後100年の2002年7月、オールスターゲームが「坊っちゃんスタジアム」で開催された。松山市民23万人の署名が実を結んだものだが、「試合中には、子規さんの野球殿堂入りの表彰式も行っていただいた」。そして、市内には『坊っちゃん列車』が走り、土・日・祝日には『まつやまマドンナバス』が史跡、観光地を周遊する。

 市内の景観三景として「ロープウエー街、道後温泉駅前、三津地区」を上げる。一番目のロープウエー街は、松山城観光の拠点であるロープウエー駅舎に繋がる街路で、秋山兄弟の生誕地に隣接している。商店街の人々が主体となって進められたファサード整備、電線類の地中化など道路景観整備によって、新しいが和みを感じさせる通りは、「確かな想い」が形となって現われている。

2006年10月10日付『建設通信新聞』より

『坂の上の雲』を
まちづくりのテーマに
松山市長 中村時広
ロープウエー街整備事業は、商店街の活性化を目指して商店街が定めた「まちづくり協定」に基づく統一景観整備事業で、設計コンペで大建設計工務案が当選、昨春、ファサード整備工事が完了した。事業は、国、県、市の補助と地元負担で実施された
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