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私の景観論

 2006年8月、市制100周年を迎えた愛知県豊橋市。全国有数の農業生産を誇り、また、全国トップの自動車輸出入港である三河港を抱え、多数の外資系企業が立地する。同市は同時に、「530(ゴミゼロ)運動の発祥の地」として知られる。早川勝市長は、都心部中心の社会資本整備にあわせた景観形成から、「歴史・文化・自然などの地域の個性を活かした景観形成を進めたい」と意欲を燃やす。

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 早川市長は、景観を「そこに暮らす人々の生活や活動の表れ」であると定義する。あわせて「市民とともに意識を高めながら、美しいまちづくりを図り、豊かで暮らしやすい豊橋をつくっていきたい」と語る。

 同市は、東から北にかけて、深い緑の山々がつらなり、その山裾には貴重な生態系を持つ湿地帯がある。南から西にかけては、太平洋、三河湾が広がり、周囲に緑と水の自然豊かな景観資源をもたらしている。戦災により、市街地の約90%を焼失したが、戦災復興土地区画整理事業によって、ゆとりある公共空間と市街地環境を形成した。

 83年、同市は都市計画課に都市景観係を設置したのを契機に、優れた都市景観を守り、育て、創出する積極的な取り組みを進めてきた。88年には、国の「都市景観形成モデル都市」が制定され、翌89年には、同市も指定された。92年4月には「豊橋市まちづくり景観条例」を施行した。この自主条例で定めた「まちづくり景観形成地区」は、豊橋シンボルロード景観形成地区をはじめ、7地区におよんでいる。中心市街地となる豊橋駅周辺は「電線類地中化や路面電車センターポール化、町並み景観などの整備を進めてきた」

 現在、同市では地域づくりプロジェクトとして「二川(ふたがわ)のまちづくり」が進行中。東海道五十三次の33番目の宿場町である「二川宿」に残る本陣や旅籠(はたご)「清明屋」、商家「駒屋」など、市の文化財に指定された建造物、寺社や瀬古道空間など、歴史的に価値のあるものが多い。

 しかし、現在の二川地区は、歴史的な町並みが失われつつあり、防災上や生活環境の快適性にも課題が出ている。それを、「下水道整備とあわせて、どんなまちづくりができるか、大学や住民と協働で検討を進めている」という。地域資源を生かしたまちづくりを図っていく考えだ。

■住民自らでつくっていこうとする意識を
 景観整備の基本を「自分たち自らで、まちをつくっていこうという意識が大切だ」と指摘する。「法で縛ろうとすると住民の熱意が下がる場合もある。住民自らが主体的に活動し、自主的なルールづくりを行うことが、今のところ本市に合った、一番よい手法」だとも。景観法については「今後、市民の景観意識がより高まり、この法律をまちづくりの便利な道具のひとつとしてとらえるようになれば、同法の活用も視野に入れていきたい」

■「笑顔がつなぐ緑と人のまち」を都市像
 同市では、将来都市像として「笑顔がつなぐ緑と人のまち豊橋」をめざし、笑顔の市民があふれる活力に満ちたまちづくりを、市民とともに進めている。「美しいまちづくりを図るには、市民や事業者の自主的なまちづくり活動や、行政との協働が欠かすことができない」ことから、さまざまな制度を設けて、市民とともによりよいまちづくりが推進できる体制を整えた。

 03年には、市民活動に対する基本的な考え方や進め方を整理した「豊橋市の市民活動を活発にするための指針」を定め、協働に関する市としての統一的な考え方を示した。12月18日には「市民協働推進条例」が制定され、07年4月に施行されることになっている。

 景観面では、92年に「豊橋市まちづくり景観条例」を制定、市民とともに景観形成を進める体制を整え、今までに7つの景観形成地区を指定、市民と協働で町並み景観整備を進めていく。

 今後は、市民意識の向上を図りながら、「これらの制度をより有効に活かし、よりよいまちづくりに取り組んでいきたい」と語る。

2006年12月22日付『建設通信新聞』より

そこに暮らす人々の
生活や活動の表れ
豊橋市長 早川 勝
豊橋公園の中心に位置する「吉田城址」。深い内堀や石垣、復元された本丸鉄櫓など当時を感じることができる景観をつくっている
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