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第2回「心のゆとりは美の源」

市立前橋工科大学大学院教授、地域研究開発センター長
元建設省研究部長 工学博士
樫野紀元

 欧米に限りませんが、外国の立食パーティーでは、ホスト、ホステスが、まず初対面の人を紹介します。互いに趣味や出身地を知り、誰もがうち解けた中で、パーティー全体の楽しみのポテンシャルが上がります。その中で、参加者は大いに楽しむことができます。

 日本の立食パーティでは、見知らぬ者同士、まず口をききません。知り合いを見つけると駆け寄って、ゴルフのスコアはどうだった、などと部分的に盛り上がります。皆で、全体がよくなるように気を遣うことも必要なのです。

 景観の良否は、このパーティーの成否と似ています。

 町並み景観が良好ですと、地域全体の価値が上がり、そこに建つ建物個々の価値も上がります。そして、景観を向上させるのは、実は住民の意思にかかっているのです。

 欧米の町には、自分の敷地に小さな通路を付け、そこを開放している例が見られます。市民の近道に供しているのです。こうした風景は、町並み景観に潤いをもたらします。そこに住む人々の心の和やかさがうかがえます。

 今日の日本では、こうした近道を提供したとして、そこを通る人によってペットボトルや煙草の吸い殻などが散乱する結果となり、善意はたちまち蹂躙されることでしょう。

 GNP(国内総生産)が世界最高の水準にあるとしても、これでは生活の水準は低いまま(生活費は高いまま)です。

 最近、企業家のモラル(道徳)の低劣化が指摘されます。世の指導者層を形成する人たちの行動規範に疑問を持つ声は高まっています。自分たちの利益追求に走る人がとても増えてしまったようなのです。

 この原因は、遠く明治政府による脱亜入欧、廃仏毀釈の政策にあると思われます。明治30年代の教育勅語には「公」を大切にする教えは盛り込まれていますが、これらの政策によって、江戸期まで続いた、心を込めて為す伝統技能を大切にする教えや、儒教、仏教に基づく「倫理」の教育は姿を消してしまいました。そして、第2次大戦後に出された教育基本法によって、「公」を大切にする教えも無くなったようです。

 仁、徳、誠は人々の行動規範とする基本です。かつて私たちは、それらを身につけていました。人々が正しい生活信条を持ち、豊かな文化の根元を築くことが、今求められます。

 心のゆとりは美の源です。生活環境の質を高め、自然災害に対する脆弱さを克服し、人々が快を感じる町をつくるためには何よりも、人々が「健全な個」であることが肝要と思われます。

 このことが、町並み景観を向上させる大元でもある、と思われるからです。

2006年2月15日付『建設通信新聞』より
(樫野紀元『美しい環境をつくる建築材料の話』彩国社より)
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