美し国づくり景観大賞マーク

第1回美し国づくり景観大賞特別賞受賞
美し国づくり景観大賞マーク

コウノトリと共に生きる地域を目指して
~放鳥から10 年を迎えた景観~

コウノトリ野生復帰推進連絡協議会
第1回美し国づくり景観大賞【特別賞】

コウノトリ野生復帰推進連絡協議会

「美し国づくり景観大賞」 審査評

豊岡市域(700k㎡)の中央を流れる円山川、流域の水田地帯、特にコウノトリの郷公園、ハチゴロウ戸島湿地、団結湿地などで、豊かな田園生態系のシンボルであったコウノトリの生息、繁殖、野生復帰をめざして、国県市、市民NPO、地元経済団体、農業団体、教育関係者など全員参加により“環境と経済の共鳴運動”の推進が長年続けられてきた。こうして流域地域全体に、安定したコウノトリを育む田園景観が保全保育された。広域にわたる多様な主体の相互理解、相互協力のよる日本のふるさと風景保育への持続的活動は、わが国の地方創生と景観保全運動の模範となるものであり高く評価したい。

目的

日本で一度は絶滅したコウノトリの野生復帰を旗印に、失われた環境(風景、暮らしぶり、心、つながり等)の再生に地域全体で取り組む。

ビオトープ水田で始まった生きもの調査授業

地域の概況

兵庫県北部の但馬(たじま)地方は、面積2133.5 平方キロメートル、人口約17 万人。山並みを縫って日本海に注ぐ円山川(まるやまがわ)と支川の周辺にわずかな平地が広がり、「谷間」がその語源とも言われる地域である。円山川は、下流域の中核都市・豊岡市に入ると急激に緩勾配となって流れが鈍化し、大雨の際には氾濫を繰り返してきた。川の周辺には湿田や湿地帯が広がり、大小さまざまな生きものに溢れ、コウノトリが日本での野生絶滅を迎える最後の時(1971(昭和46)年)まで暮らしていた場所である。

情報

範囲
兵庫県豊岡市(を中心とした地域)
規模
約700平方キロメートル(豊岡市の市域面積を記述)
開始時期
コウノトリ保護(1955(昭和30)年~)、人工飼育(1965(昭和40)年~) コウノトリ放鳥(2005(平成17)年~)
実施期間
放鳥から10年、コウノトリ野生復帰推進協議会設置から12年
景観法等の適用状況
特になし

経緯

田んぼや水辺を生息場所とする大型の鳥・コウノトリが生きていくためには、人里にエサとなるたくさんの生きものが住む“豊かな自然”と、大型の鳥を暮らしの中に受け入れ共に生きていく“大らかな文化”が必要である。したがって「コウノトリ野生復帰」とは、単に種の復元のみならず地域全体のあり方を問うものであり、コウノトリと暮らす景観はそうした地域の姿を象徴するものである。コウノトリ野生復帰推進連絡協議会は、この取り組みを官民が横断的に進めていくため2003(平成15)年に組織された。関係機関は国の省庁から地元農家、商工会議所、小学校長会に至るまで多岐にわたる。県立コウノトリの郷公園で人工繁殖・飼育を行いつつ、多くの主体がコウノトリの生息を可能にする多様な取り組みを進め、2005(平成17)年に初めての放鳥。2007(平成19)年には国内で46 年ぶりに野外でヒナが巣立った。以降野外での繁殖は順調に推移し、2015(平成27)年2 月現在、野外に72 羽、飼育下で95 羽のコウノトリが暮らすまでに進展している。コウノトリ野生復帰の取り組みとともに、地域の景観は大きな変化を見せた。円山川を中心とした河川の自然再生、環境創造型の農法として広がった冬に水を張る「冬期湛水田(ふゆみずたんぼ)」、休耕田を活用した水田ビオトープや大規模湿地、そうした湿地で行われている子どもたちの生きもの調査活動、各地に建てられたコウノトリの巣塔、そして、コウノトリを見守る地域の人々、コウノトリに会いに訪れる多くの人々・・・。それらは、さまざまな人たちの取り組みの総和によって支えられた景観である。

景観の創生、再生の取組み前の景観状況

  • 乾田化され、生きものが姿を消した水田
    乾田化され、生きものが姿を消した水田
  • 農薬散布をはじめとする環境悪化
    農薬散布をはじめとする環境悪化
  • 昭和21年(1946)の豊岡盆地
    昭和21年(1946)の豊岡盆地
  • 昭和52年(1977)の豊岡盆地
    昭和52年(1977)の豊岡盆地
  • 人と牛とコウノトリと(1960 年撮影)
    人と牛とコウノトリと(1960 年撮影)

かつてコウノトリと共にあった地域の景観は、経済成長と利便性・合理性を求めるライフスタイルの欧米化の中で急激に失われていった。1960 年代まであった人と自然が共生していた景観は、1970(昭和35)年前後には人の影響が過度になった景観に姿を変え、但馬・豊岡のような田舎にあってさえ、自然のつながり、生きもののつながり、人と人とのつながりが徐々に損なわれていった。乾田化された水田は季節の景観を変え、急激に進んだ開発は合理的な家屋と農地による景観を生み出した。つながりの中で生きる大型の鳥・コウノトリが里の風景から姿を消してしまったのは、それらを象徴するできごとだったと言える。

景観の創生、再生の取組みによる現在の景観状況

  • コウノトリが帰ってきた(豊岡市内の水田)
    コウノトリが帰ってきた(豊岡市内の水田)
  • 冬に水を湛えた水田(コウノトリの郷公園前)
    冬に水を湛えた水田(コウノトリの郷公園前)
  • 河川の湿地再生(円山川)
    河川の湿地再生(円山川)
  • 水田の一部を湿地として整備(ハチゴロウの戸島湿地)
    水田の一部を湿地として整備(ハチゴロウの戸島湿地)
  • ムラの休耕田を共同管理で湿地に(田結湿地)
    ムラの休耕田を共同管理で湿地に(田結湿地)
  • コウノトリ写真コンクール作品
    コウノトリ写真コンクール作品

2005(平成17)年の放鳥から10 年、コウノトリは再び地域の風景の一部となった。それは、コウノトリと共に生きる自然環境と文化環境、さまざまな「つながり」が取り戻されつつあることを意味している。生きものの多様性確保や農薬・化学肥料削減、冬期湛水、水田魚道の設置など総合的な環境創造型農業「コウノトリ育む農法」によって、水路と水田が再び生態系としてつながり、豊かな景観として表出してきた。また、ムラの休耕田を共同管理で湿地として維持する取り組みは、農村にやわらかな自然のラインを生み出し、そこにいるお年寄りから子どもまでを豊かな景観として蘇らせた。そこにコウノトリが舞い降りることで、さまざまな「つながり」による一定の景観の創生・再生の成果を得たと言える。

取組み地域の位置図及び写真の撮影位置・方向

ビフォー・アフターに見る景観向上の成果のアピール点

コウノトリは私たちの暮らしの今を映し出してくれる鏡である。失われたものを取り戻すこの取り組みは、自然とのつながり、人と人とのつながりを意識して取り組んできた「再生」の物語であり、自然環境や文化、心、つながり等を少しずつ再生してきた結果として、コウノトリがいる風景が帰ってきている。この「再生」の物語がつくる景観は、人を含めた環境総体としての景観そのものである。しかもこの物語は、人の暮らし(農業、環境学習、保全活動など)に溶け込み、市民・事業者・行政まで多様な主体によってつくられているため、これからも続いていくものである。あれだけ大きな鳥が近くにいる(人の暮らしに溶け込んでいる)風景が、私たちに語りかけることは多い。そのことは、地域住民はもちろん、国内外からこの地を訪れる多くの人々にも、感動と自戒、意識の変革をもたらしている。兵庫県豊岡市だけでなく、近隣他県でも放鳥されたコウノトリを受け入れる取り組みが拡がっていることも、本申請内容が生み出す大きな価値の一つである。

景観の創生、再生の取組みの特色・工夫

豊岡市が定める「豊岡市環境基本計画」(2003(平成15).3)は、私たちの暮らしまるごとを「環境」ととらえ、「里」「川」「海」といった自然環境はもちろん、「地域の祭り」「道草」「豊岡ブランド」など文化環境にまで目標とする姿を設定している。中でも、暮らしに密接に関係する経済との関係は、「豊岡市環境経済戦略」(2005(平成17).3)として再構築し、環境が良くなることによって経済が潤い、経済が潤うことで環境への取り組みがさらに進む「環境と経済の共鳴」を活動の推進力にしようとしている。例えば、コウノトリ育む農法をはじめとする「環境創造型農業」はその代表例である。「田んぼでお米と生きものを同時に育む」をコンセプトに、コウノトリの生息を支える環境行動と、安全・安心のブランド化や販売戦略による生産者の収入増(経済活動)が好循環を見せている。

  • 「コウノトリ育むお米」
    「コウノトリ育むお米」
  • コウノトリと共にある米づくり
    コウノトリと共にある米づくり
  • 「コウノトリ育むお米」作付面積の推移
    「コウノトリ育むお米」作付面積の推移
  • 米買取額の比較
    米買取額の比較

景観の創生、再生の取組みによる波及効果

2013(平成25)年度から2014(平成26)年度にかけて、国・県・市の関係機関が連携し、これまでのコウノトリ野生復帰の取り組みを振り返る「コウノトリ野生復帰検証事業」で分析を行った。コウノトリ放鳥以降、基幹施設である県立コウノトリの郷公園への来訪者年間40 万人以上へと急増し、そのことによる経済波及効果は2009(平成21)年時点で年間約10 億円(大沼・山本(2009))と推計された。今回の検証では、長引く不況下にあった2013(平成25)年にあっても、30 万人を維持する来訪者による波及効果を約4 億円と推計している。同じく、コウノトリ育む農法は、2012(平成24)年現在251 ヘクタールまで取組面積を伸ばしており、その経済波及効果を約6 億円と推計している。検証事業では、野生復帰の進展ポイントが、取り組みへの「共感」と「共感の連鎖」にあると分析している。また、その共感の要因として「バイオフィリア(生きものへの愛=代表:コウノトリ)」、「トポフィリア(場所への愛=ふるさとへの愛)」、「生活の安定を望む思い(環境経済)」の3 点を挙げている。さまざまな施策やできごとを通じてこうした要因が刺激され、関係者の心が動き、その共感が連鎖するにつれて取り組みも拡大してきた。たどり着いた「コウノトリ舞う風景」に対する内外からの評価は、人々の地域に対する誇りとなってさらなる共感を呼び起こしている。そして今、コウノトリの行動範囲の拡大に伴い、その共感は国内各地、あるいは韓国にまで広がろうとしている。一地方、一つの種から始まった取り組みは、普遍的な価値を内包しているように見える。

  • コウノトリの郷公園を訪れる人々
    コウノトリの郷公園を訪れる人々
  • コウノトリの郷公園を訪れる人々
    コウノトリの郷公園を訪れる人々
  • ビオトープ水田で始まった生きもの調査授業
    ビオトープ水田で始まった生きもの調査授業
  • 湿地ガイドとして立ち上がった地元の主婦たち
    湿地ガイドとして立ち上がった地元の主婦たち

今後の取組み

コウノトリは、地域を変えたヒーローのごとく表現されることもあるが、決してそうではない。コウノトリは弱者の代表であり、絶滅と復活を経験した尊い命の象徴、“命への共感”を地域の人々に呼び起こしてくれる存在である。自分以外のいのちに優しいまなざしを持てる地域、そんな人々が暮らし、つくっていく景観が、「コウノトリ野生復帰」が目指すものである。放鳥から10 年、取り組みはまだ道半ばであり、地域の景観は今後も変わり続ける。